猿江神社の御由緒
源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)において、数々の奉勝を建てた家臣に「猿藤太」(さるのとうた)という武将がいた。武勇の士と讃えられた人物であったが、此の地の入り江で力尽きてしまった。
これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て祀った。此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の社名になったと伝えられる。
神社としての正確な創立年代は不祥であるが、康平年中(1058)頃には近在の信仰を集め、稲荷社として境内地三百余坪を有した。築九十年を迎える、都内でも最古級の鉄筋コンクリート造りの御社殿は、旧社殿が関東大震災にて消失後、昭和六年再建された。東京大空襲にて、近隣一帯が灰燼に帰した時も奇跡的に難を逃れ、錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ御社殿のみが望めたという。
昭和二十一年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称。
一千年以上の歴史をもつとされる由緒深き神社である。
(神社のパンフレットより)
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